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2009年8月23日 (日)

Star Mazda情熱物語 夢を諦めなかった20年間

ほんの少しの勇気から、みんながそれぞれ、毎日に幸せを感じられるようになることを私は心から願います。

前に進む者に道は開ける!

Seb0318090510 情熱を燃やし続けることが出来る好きなことを持っていますか?私はこのフォーミュラレースがどうしてもチャレンジしたかったもの。自分の可能性を信じられるものだったのです。このチャレンジは成功するかどうか今もわかりません。でもこれまでの20年以上に渡って願い続け、やっと手に入れたチャンスなのです。2009年、命を燃やして戦ったことを私は一生忘れないでしょう。1000分の1だった可能性は今、50分の1くらいに広げて来たと思います。今チャレンジ出来ている毎日がとても幸せです。

1989年に「プロレーサー」を目指し、大阪から東京に出てきます。ガソリンスタンドと引越し屋さんなどでアルバイトをしながら、始めたのはレーシングカート。その後、コンピュータ関連の会社でいくつか働き、中古車雑誌カーセンサーの仕事などもします。それからFJ-1600、フォーミュラトヨタ、F3へとステップアップし、1996年にはF3のジュニアクラスチャンピオンとなります。これは・・・型落ちのクラスで、今のスターマツダのエキスパートチャンピオンに近い価値観のものです。それでも一応チャンピオン。1997年は新車を使って全日本F3に参戦が予定されていましたが、バブル崩壊の影響がどんどん広がっていた当時、私を支援してくれる予定だったスポンサーも状況が厳しくなり、レース撤退をせざるを得なくなります。1996年から1999年まで、チューニングショップに3年半在籍し、仕事をしながらスポンサー活動を続け、レース復帰のチャンスを探しましたが、どんどん難しくなる一方でした。ここで私のレースチャレンジ第一幕は終りです。

1999
10月、チューニングショップを退職し、独立。ドライビングテクニックを教える講師などを中心とした仕事を始めて、20005月に二子玉川駅前に「ディーテクニック」を設立し、座学のドライビング講座を始めます。「自分の力でもういちどフォーミュラへ」と強く私が願っていたことは当時の受講生はみんな知っています。パーティレースを中心としたメンテナンスとドライビング講座を行う中、加藤彰彬がスタッフに加わります。その活躍はご存知のとおり、ほとんど全てのレースで優勝してくれました。さらに嬉しいことにほとんどサーキット経験、レース経験のなかった仲間が私達のサーキットスクールからレースデビューし、次々と優勝するという信じられない現象がおきました。成績だけでなく、レースや走行会に参加する仲間をサポートする素晴らしいメンバーもどんどん増え、実際にイベントの参加しなくてもディーテクニックファンは固い結束で結ばれていくようになったと感じられました。「レースとスポーツカーはセットである」という私の考え方を理解し、賛同してくれる仲間がどんどん増えていきました。これらは私がレースを成功し、引退したら行いたかった第2の夢でした。それをみんなの力で見事に実現してくれたのです。私のレース後のチャレンジはこれ以上ない幸せの状況、100点満点の人生となりました。

私は「レースのテクノロジーを最大限注入したストリートカーが欲しい」といつも思っていました。本物のレースカーが持つ研ぎ澄まされたものは本当に凄い。大量生産では困難な手造りの味を注入したものを多くの人は味わったことがなく、私もレースの世界に入って初めて知りました。「成熟したクルマ社会にこそこういったモデルが必要である」という提案をしたいと強く思い続けていました。そこに元M2 1001開発者でもある立花啓毅さんとの出会いがあり、「TD-1001R」の開発に至ったのです。この成功からRX-8パーツ開発の成功、パーティレース必勝マシン「TCR 2000」の開発と展開していきました。これらコンプリートカー開発のビジネスも成功したことが大きな転機となります。このめったにないチャンスを見逃さず、20085月アメリカ視察をはじめます。目的はスターマツダ参戦と新たなビジネスの展開です。これらもすべてはディーテクニックの熱狂的ファンに支えられてのことです。

レースに出られない間に私が得たもの。それはドライバーとして戦う以外の全てのパートについて、仕事をすることでした。メカニック、エンジニア、ドライビングコーチ、スポンサー、チームオーナー、マネージャーなど、全ての仕事を体験し、その立場の人たちの思いを理解することができたことが財産です。そして、たくさんの同じ方向の考え方を持つ仲間が出来たこともとても大きな意味を持ちます。たくさんの経験とたくさんの仲間と共に、アメリカのスターマツダへのチャンレンジがスタートしたのです!

レーシング ドライバー 出来利弘

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