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2009年8月24日 (月)

Star Mazda 情熱物語2 怪我との戦い、そしてRX-8レースに復帰

P1000085 2003年の事故で大きな怪我をして以来、私はレース復帰が困難な状況となっていました。長年のリハビリ生活を経て挑んだ復帰レースは、2008年RX-8マスターズレース。年間シリーズチャンピオンとなり、自分のレースに対する精神状態も確認できたことで、アメリカスターマツダへのチャレンジを決意しました。
もちろん、体は100%復活していました。

_dsc5684 どんな状況でも諦めなければ神様が力を貸してくれるのだと思いました。また人間の回復力はこんなにもあるのか!という驚きでもありました。いつも笑っていましたが、かなり厳しい状況でした。2003年に事故に合い、右腕と背中を強く負傷し、その影響で立ち上がることが困難となり、1年の間に3回も救急車で運ばれ、入院する経験をしました。後遺症がひどく、重いものは持てず、なんどかスポット参戦で参加したパーティレースもほとんど左手の片手運転。「もう二度とちゃんとレースは出来ないのではないか」と諦めていました。もしかしたらそんなこともあって、TD-1001Rの開発やみんなの応援に集中できたのかもしれません。私が幸運だったのは加藤彰彬がディーテクニックのドライバーとして加わってくれたことです。彼もフォーミュラレーサーに憧れ、その才能に恵まれながらもチャンスがなかったドライバーです。彼がディーテクニックの中でパーティレース参戦してくれたことで、私は

TD-1001Rの開発に専念できました。「俺は今、TD-1001R開発というレースを戦っている。お前はパーティレースで勝ち続けてくれ!このふたつが同時に行われて、俺とお前が力を合わせていることにとても重要な意味があるんだ。」そんな会話をよくしたことを思い出します。それでも自分の腕が動かないこと。少し無理をすれば立ち上がれなくなることはとても大きなストレスでした。しかし、友人が紹介してくれたリハビリの先生の指導を受け、復帰にかける決意をしました。「自分の体はひとつだけ。諦めては全てが終わる」。私は毎日リハビリを続け、リハビリのヒロ先生のところに毎月通い続けました。2003年の5月から20074月まで4年間、私は「背中をかく」ことが出来ませんでした。握力は低く、右手で重いものは持てないままでした。それでも諦めなかった4年目、握力が徐々に回復し、背中に腕が回せるようになったのです!健康で体が普通に動くことの幸せをこれほど感じたことはありませんでした。それからの1年、徐々に回復してきた右腕によって、レース復帰を考えれるまでになりました。20084月、5年間のリハビリの成果を試すべく、レースへのスポット参戦を考えていたところにディーテクニックパーティレーサーの1人が、RX-8からロードスターへのマシンスイッチし、RX-8のレースカーがやってきます。55日の開幕直前にやってきたこのマシンでそのままレースに本格的に復帰し、RX-8マスターズレースで優勝しました。レースには鉄則があるのをご存知でしょうか。「良い成績を残したらすぐに行動しろ!」というものです。「勝ったら飛行機に乗れ!」私はこれに従って58日にアメリカ、カリフォルニアに渡ります。「RX-8のレースで優勝した。3年後にスターマツダをやりたい。だからビジネスをここでなにか始めたい。」と話して回りました。当時、ディーテクニックは私と加藤の絶妙なコンビネーションで成り立っていたので、1週間不在でも大変。私はこれで引き上げました。その後、RX-8レースの合間を縫って、7月、8月、9月と4回にわたって10日間ずつ滞在を計画し、最後の925日に滞在した時に転機が訪れます。世界の経済状況が急変し、株価が激変。円高となります。「そういったことがきっと3年以内に起こるだろう。その時こそチャンス。だから今から準備してアメリカへ行き、その時が来たらスターマツダに参戦する!」私はそう加藤に言っていました。

10月、加藤と電話会議

出来:「おい、加藤くん、今がその時!?でも貯金も充分ではないし、英語はしゃべれないし、ビジネスはスタートしていないし・・・。かなり無茶じゃないか!?」


加藤:「スターマツダは僕達が世界中のレースを観て、今、最も魅力的なレースだと思ったじゃないですか。
F3クラスのレースに出来さんが出るために創った会社がディーテクニックなんだから、その目的に到達できるところまで来たことが凄いですよ。頑張っても出来ないなら仕方ないけど、届くならチャレンジして欲しい。」

出来:「お前、本当に無茶言うなあ。世界経済はダウンしてるんだよ!しかもこのレースにいきなり来年俺が出ると日本の仕事は・・・。加藤が相当大変なことになるよ。」

加藤:「僕はがんばりますよ。もうここまで運命を共にしてきたんだから、あとちょっとくらい無茶しても同じでしょう。みんなも応援してくれると思うし、協力してくれると思いますよ。」

出来:「確かに文化的活動を頑張るディーテクニックを応援して欲しいとは言ったよ。スターマツダをやるということはディーテクニックとこれから俺達が表現していこうとしている自動車文化と生き方について絶対必要なものだ。でもその意味を日本のディーテクニックファンのみんなが理解してくれるかどうか・・・。」

加藤:「そのときはそのときじゃないですかね。もともとフォーミュラ参戦するための会社だし」

出来:「もうそれを覚えている人も少ないけどな・・・。俺がスターマツダ出るって言ったら、驚かれるよ、きっと。ロードスター軽井沢ミーティングでF3デモランしたことを知っている人もほとんどいないんだから。12年は長いよ。」

加藤:「日本は僕ががんばりますから、やってみましょうよ。」

出来:「OK。じゃあ、日本のディーテクニックファンを信じて、予定を早めて2009年スターマツダにチャレンジするよ。絶対に話をまとめて、優勝してみせるよ。」

加藤:「がんばってください。」

加藤が反対するどころか参戦を勧めてくれた。もちろん、何度も検討を重ねたましたが、12年のブランクを抜け、スターマツダへ参戦する決意をしました。

でも今度のチャレンジはひとりではありません。

加藤とディーテクニックを応援してくれる『みんなと一緒に参戦する』気持ちです。
このチャレンジがずっと続けられるようにこの2009年を全力で戦います。

レーシングドライバー 出来利弘

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