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2009年7月 6日 (月)

TD-1001R開発物語 M2ミーティングから生まれたTD  

Td17D-THCHNIQUE  TD-1001R

『心を開放するスポーツカー』TD-1001Rの開発に関する物語は、信じられないような奇跡の連続。2004年10月01日の発売から5周年を迎えるTD。今だからこそ、語ることの出来る真実をスポーツカーとモータースポーツを愛する全てのファンに贈ります。

S20031_2『M2 ミーティング』というミーティングがある。毎年10月1週目前後に開催。年に一度だけ、M2とTD、そしてロードスターが大好きな仲間たちが女神湖に集まり、芝生の上で楽しい時間を共有する暖かいミーティングです。

詳細はCLUB M2 Web 



M2_2003_0191なぜ、TDもここに集まるのか。それは『TD-1001R』というコンプリートモデルが、実はこのM2 ミーティングから生まれたモデルだからなのだ。CLUB M2 1001Rと言っても名乗ってもおかしくないほどのものなのだ。ロードスターのミーティングの持つパワーの奇跡なのです。
M2_2002_0171

CLUB M2主要メンバーはとてもアットホームな感じの6名。多くのスタッフに中古車のM2車両を販売したのは、私でした。以前在籍した会社で販売したのですが、ロードスターオーナーだった彼らたちに憧れのM2オーナーとなってほしくて、程度の良いM2を見つけてはご紹介していたことを思い出します。1997~1998年の頃です。憧れた時間が長かっただけにM2を手に入れた彼らの情熱は凄いものでした。「M2が好きな仲間で集まるミーティングをしたいので協力して欲しい」と相談を受け、あれこれ考えながらスタートしたのはもう10年以上前でした。10年以上続けるということは本当に大変なことです。今もこうして『M2 ミーティング』が続いていることを私は本当に嬉しく思っています。
スタッフの皆さん、参加者の皆さん、本当にありがとう!感謝しています。

車を買ってくれたお客様と店員、そんな関係を超えて、いろんな話をしたり、お世話になったり、そんな仲だったので、このミーティングだけは特別な存在でした。いつも欠かさず参加してきました(2008年はスターマツダスポット参戦のため初めて欠席)。本当にピュアにクルマが好きで集まる彼らは、本当に応援したくなる存在であり続けてくれました。
そんなM2ミーティングが立花啓毅さんと引き合わせてくれたのです。

2003年9月28日、私は前日のパーティレース&メディア4時間耐久レースを終え、筑波サーキットから直接土曜日の夜中にペンションに到着。3時間睡眠で、朝食の場所へ着くとそこには、立花啓毅さんがいました。毎年オファーしてやっと彼はゲストとして、このミーティングに参加してくれたのです。
モーニングを食べようとすると席がいっぱい。立花さんが私に手を振り、

立花(以下 T):「君、僕の隣で食べたらどう?あら?君どこがで会ったことあるなあ・・・。」

出来(以下 D):「はい。以前、M2ビルで1001から降りない私に「1002はどう?」と聞かれて、「エンジンやってないと興味ないですよ。1001がいいなあ。」と言ったら、「そうだよなあ!」と言って大笑いされました。その後、メディア4耐と同時開催されていたのかな?FJ-1600のレース会場で、一台一台を真剣に見ている立花さんが、「このマシンのドライバーか?どうだ、調子は?あれ、君どっかで会ったことあるなあ。そうかM2ビルでか。頑張って!」とか、その会話だけですけど。」

T:「そうかあ。そうそう筑波にいたなあ。なんとなく憶えているよ。で、昨日はいなかったのか?何してた。」

参加者:「出来さん、1分12秒9のNR-Aコースレコードマークしたそうじゃないですか!」

T:「え、そうなのか!それは凄い!たいしたもんだ。」

D:「情報早いですね。ありがとうございます。パーティレースです。予選でコースレコード出して・・・」

T:「おお、凄いねえ、凄さがわかるよ。で、最終コーナーとかどうやって走ってる?」

D:「NBロードスターだから4速、ほとんどノーブレーキでゆっくりアクセルを緩めながら入って、姿勢が出来たら、ブレーキに触れながら奥で3速に落とします。」

T:「おお、それは凄い!かなりマシンが決まってるんだね!凄い。」

D:「ありがとうございます。凄いですね、走り方聞いただけでイメージが沸くんですね。」

T:「そうさ、メディア4耐とかでも走っているからね。今もバイクのレースをやっていてね、こうコーナーにジュー!っと入っていて・・・で、セッティングはどうなっているんだ。」

D:「はい。アライメントをこうして、タイヤのエアはこうして・・・」
スタッフの人:「立花さん!時間ですので会場の方へ」

T:「あ、いかん、また後でな」


Rsa091 私もゆっくり朝食を取り、会場へ向かった。穏やかないい日だった。太陽が優しく微笑むような。
立花さんが参加者たちのクルマを見て回っていた。立花さんはディーテクニックのフロントGTウイング(リップスポイラー一体型フラットパネル)を装着した熊さんのM2 1001に目を止めた。立花さんはスタッフの熊さんに訪ねられた。「これはどこのパーツ?よくデザインされてるなあ。空力のことが良くわかっている人が創ってるなあ。これは良く効くはず、素晴らしい。」、熊さんは「立花さん、これはあそこに立ってるディーテクニックの出来さんという人が作ったんですよ。」こうして私はM2スタッフに立花さんを再度紹介され、パーツの開発とその考え方について説明した。フロントのフロアのダウンフォースを稼ぐとリヤも少しダウンフォースが出ること。第3京浜とサーキットでテストを繰り返し、空力を体感しながらパーツを煮詰めていることや小さなパーツでもデザインを妥協せず、面のRにも拘って創っていることを説明しました。
立花さんはすでにマツダを退職し、フリーランスでお仕事をされていました。毎日自宅のガレージで自分のレース用のバイクのメンテナンスをしている話などを楽しそうにしてくれました。そして、そのガレージはご自慢のものなのだと。

T:「自分でレンガを積んでさ、石を置き、作業場にはアピトンという硬い木を使って作ってあってね。これは昔バスの床とかにも使われていたもので丈夫なんだけど、味があって良いんだよ。」

参加者のみなさん:「素敵ですね。一度みてみたいね。」

T:「ガレージ見学ツアーということでみんなで見に来るか広島へ!ん?」

参加者のみなさん:「いやいや行きたいけど遠いですよ。すみませんが無理です。」

D:「いいですね!見てみたいなあ。」

T:「お、来るか!?歓迎するぞ。是非、広島へ」

D:「そんなこと言うと、私は本当に行っちゃう人ですよ。」

T:「大歓迎だよ、大歓迎」

M2_2003_0201M2_2003_0141その後、立花啓毅さんによるM2開発時のお話があり、みんな興味深々。「M2を可愛がってもらって、本当にうれしい!」と叫ぶ彼を囲み、M2オーナー達もとても幸せそうだった。
立花さんは新幹線の時間があり、早々に帰っていかれた。

大切なことは、この偶然には、全て『人』が関わっているということ。M2 1001という立花さんとその仲間たちが作ったクルマ、もっと言えばマツダのロードスターという『想いを込めて創ったモノ』を通じて、私達オーナーは創り手のモノに込められた感情を読み取り、自分の愛車を大切にしてきたのではないでしょうか。
やがてこうしてM2ミーティングも始まり、そこに売った店員さんもお客さんもその仲間達も集まる。みんなロードスターが好きなことが共通。

また、筑波サーキットで戦われるパーティレースもロードスターのナンバー付きワンメイクレース。これもロードスターあってのもの。本当に凄いクルマです。そして、そのレースについて話が出来たり、よい成績で走れるようになった私も過去のレース経験がなければ難しかったかもしれません。パーティレースにダブルエントリーした鈴木健一さんとの友情応援もなければ、レースにも出場していなかったでしょう。人生の全てが積み重ねなのだと実感しています。そして、仲間を大切にしていたからこそ、『毎年会いに来る』このミーティングで全てが重なったのです。
11月、私は初めて広島県へと向かいました。

出来利弘

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