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2009年7月14日 (火)

TD-1001R開発物語7 立花さん講演会を行う

『立花さんを招いて、講演会を開こう!』
と私は思いました。
『これからの若い世代の人たちにスポーツカーと自動車について深く考えてもらう機会をもって欲しい』ということと、
『何か立花さんの役に立てることをしたい。彼が企画するクルマのヒントになることが何か出来ないだろうか』と考えたからでした。
もちろん、私達もとても勉強になるからなのは言うまでもありません。

2004年1月24日(土)、25日(日)にその第1回、第2回が行われました。

『人と人とは直接会って話すことが何よりも大切』そう考えるディーテクニックらしい企画でした。
当時、立花さんは『なぜ、日本車は愛されないのか』(ネコ・パブリッシング)を出版されていて、その本の内容や考え方についてファンとの交流を持っていただく企画を提案しました。お呼びしたのは、立花さんのファン、M2ファン、そしてディーテクニックに対してボランティア活動をしてくれたり、日頃から積極的にパーツを購入したり、サポートしてくれているディーテクニック・ファンにも声をかけて、約15名ずつという小人数で何度か行いました。私の考えはこうでした。
『人数は20名以上入れては、この講演会の味が薄まる』
そんなに多くの人の心を動かしたり、意見を聞いたりすることができないのです。15名程度ならば、私と立花さんでひとりひとりに訴えかけ、また意見を聞くことも出来ます。
こういったコミュニケーションこそが、私たちお互いに取って非常に有益な時間を作り出すことができるのです。


講演会が始まります。立花さんの考えるスポーツカー、クルマ文化について講義が進みます。みんな興味深々。自分の尊敬している人のこと、良い車の良いところを言葉を選んで話されていました。『みんなに夢を』そんな思いも伝わってくる良い講演でした。立花さんも紳士です。決して他人やクルマの悪口など出ることはありませんでした。

講演は約2時間行われ、その後、質問会、サイン会のような形となりました。「M2のころの話を聞かせてください。」「NA6CEが一番いいと思いませんか?」「立花さんはもうクルマを作らないのですか?」など。「NBはどう思いますか?こんな風にチューニングしたいとかありましたか?」の質問にT:「MPSというのがあっただろ?あれは私がデザインしたんですけど、あれが限界だなあ・・・」と答えた。
MPSは2000ccで200馬力、発売されれば、歴代ロードスターで一番パワフルなモデルとなる予定でした。またアグレッシブな顔つきは好き嫌いのはっきりしそうなアクの強いスポーツカーのそれを持っていました。私は「1600のNBはどうでしょうか。」などと振ってみましたが、その時の反応は今ひとつのものでした。「やはりチューニングベースは1800でしょう!」と当然ながらの答え。「NA6CE、NA8C、NB8Cファンは多いのにNB6Cはかわいそうだな。いいクルマなのに・・・」というのが私の印象でした。その他、様々な会話があり、この第1回、第2回の講演会を通じて、熱いエンスーなみんながどんな想いでロードスターやM2と付き合っているのかが良くわかりました。まさにディーテクニックが大切にしてきた『仲間達とのダイレクトコミュニケーション』です。

この講演会で大切なポイントがありました。それは『立花さんには広島からこのためだけに来ていただいた』ということです。もちろん、立花さんは「何か他の仕事があるときについでによってあげれば、交通費がかからないぞ。」と言ってくださいました。彼にこの講演に対して集中してもらうことでより一層、良い講演となると思えたからです。良い講演には、お客様も良いリアクションを返してくれます。そこに立花さんも私も前のめりになって話す環境が生まれ、そこから様々なアイデアが生まれると思ったのです。
私達はこの後も2月7日(土)に第3回、3月7日(日)に第4回・・・と新たなメンバーを呼び、立花さん講演会を続けました。少人数に手を抜かずしっかりと話をすることはとても大切です。その10人の心に響けば、その人がまた10人に話をしてくれるのです。そうすれば、100人の人に想いが伝わると信じていました。それは100人を入れて大会場で話すのとは全く異なったことです。

私たちはこの講演会に参加した人たちに、今日、ここで話を聞いたことを黙っていて欲しいと言いました。立花さんにもそう言いました。その約束は5年経った今も守られているようです。本当にありがとうございました。もう大丈夫です。ご参加いただいた皆様はどうぞ、『立花さんの講演会を聞いた!』とお話しください。そして、どうか5年の時を経て感じたことを仲間に伝えてあげてください。そこに参加された方々は間違いなく『TD-1001Rの開発』に関わっていたのですから。
なぜ5年黙っていてもらったのか。やはり様々な人に配慮した結果です。残念ながら全ての人に声をかけることも出来ませんでした。全てシークレットで進める必要もあったからです。しかし、こうして全てを進めていかなければ、TDを発売するには至れなかったと思います。全ての方に情報をお知らせすることが出来ず、大変申し訳ありませんでした。それでも良い結果に繋げること、幸せを届けることを優先しました。

そして、ずっと黙っておくことも考えておりましたが、スポーツカーファンの結束を高めなくてはいけない今、この物語を語らなければならない時が来たと感じ、書かせていただいております。今の時代に、今の若い世代に伝える必要があると思ったからです。私自身もこの機会を逃したら、『TD-1001R』のことはもうお話する機会を失ってしまうかもしれません。ディーテクニックの企画、モノ創りは、いつも命がけですRX-8もNCもそうです。魂を込めて作った最初のクルマを伝えることで、みなさんの心に暖かい気持ちが生まれてくれることを祈りつつ、さらにこの物語を続けていきたいと思います。

出来利弘

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