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2009年7月 7日 (火)

TD-1001R開発物語3  立花さんのガレージを訪問

PhotoTD-1001R」そのTDは立花(T)と出来(D)から取って、「TD」と名付けられました。そんなTさんのお家にDさんが訪ねることになりました。もちろん、元マツダ株式会社の有名な方です。とても緊張しつつ向かいました。

2003年11月18日、広島県にある立花啓毅さんのお宅を初めて訪問させていただきました。閑静な住宅街の中にありながらも立花さんの家は門構えから洒落ていて、すぐにここだとわかりました。木で出来た引き戸の中のご自慢のガレージは本当に素晴らしく、雰囲気がありました。
大きな石が敷き詰めらた中に、ジャガー、MG、そして一部にM2パーツの装着されたユーノスロードスター1600(NA6CE)がありました。作業場所はアピトンという昔の電車やバスの床に使われていた硬い木が使われ、古き佳き時代の雰囲気が出ていました。庭の方からこぼれる光がガレージに差しこみ、とても暖かい空気感。毎週末、ご自身で積み上げられたというレンガも適度に不揃いでそれが良い味を出していました。『ガレージライフ』という本の第一号にも載っているんですよね。

出来(D):「こんにちは!」立花(T)さんが出ていらしゃいました。

立花(T):「おおぅ、いやいやいや、どうも!よく来たね!え~。遠くからワザワザ、いや、うれしいねぇ。」といつもの立花さんらしく明るく、私を迎えてくれました。

T:「どうするかな?中か?いや、ガレージが良いよな。ガレージを見に来たんだからなあ~。よし、説明しよう。ここが私のガレージです。もう会社を辞めてからは、バイクばっかりでねぇ。本当に楽しい!毎日自分でメンテナンスしてさ、レースに出るんだよ。この前はさ、ここの部品が折れてね、走れなくなったんだよ。それで持って帰ってきて、溶接をしてさ。会社にいたころはなかなか進まなかったけど、今は集中出来るからねえ。・・・・この上に荷物をおいていてね、このはしごで登って荷物を置くんだなあ。・・・・」
時には身振り手振りで表現して、立花さんは少年のような瞳で、クラシックバイクレースの楽しさを伝えてくれました。私はお話を聞くのがとても楽しく、感動でした。それはそうですロードスターやRX-7、M2に関わった人のお話が聞けるのですから、楽しくないわけはありません。緊張?少しはしましたが、それよりも楽しさが先に立っていました。
私はM2 1001のオーナーになってちょうど10年でした。立花スペシャルと言えるクルマだけにその開発者の方とお話が出来るとはなんと光栄なことでしょうか。車というモノを通じて、創り手の意志を読み取って選び、オーナーとなったという意味ではM2 1001を通じて、私たちはすでに会話をしていたことになります。「こんな素晴らしい仕事ができたらいいなあ。」と素直に思いました。これこそ、立花さん言うところの『モノ創りに魂があるかないか』が重要なのだということなのでしょう。

D:「立花さん、クルマはもうやらないのですか?こんなにいろいろ知っている人には、もっとクルマを作っていて欲しいです。RX-7やロードスターで立花さんを雑誌で見て、私は知っていました。M2の時にもたくさん記事を拝見させていただきました。しかし、それはもう12年も前のことです。大変失礼ながら、今の若い人たちは、立花さんのことをあまり知らないと思います。まだまだお元気なんですから、またM2のころのように何らかの形でクルマを創ってください。」

T:「いや、確かにいろんな人からね、そうは言ってもらえるんだよ。嬉しいんだけど、そうはいってもなあ。今はバイクが楽しいし、もうクルマはいいかなあ。出来君、バイクはどう?乗るの?」

D:「いえ、免許も持っていません。取って乗りたいなあとは思っているんですけどね。」

T:「ははは、みんなそう言うんだよな。でも結局免許は取らないし、乗らない。」

D:「いえいえ、フォーミュラレースに出るチャンスが来たときに怪我をしていてもいけないと封印してたんですけど。もう乗れなくなって7年以上経ちましたからね、そろそろ免許を取りに行って、サーキット走ってみようかと思っています。本当に。」

T:「みんなそう言うんだよ、でもやっぱりやらない。「いやあ、立花さんに影響されて、私もバイクの免許を取りに行こう」何人も言ったけど取った人はいない。やらない理由なんてさ、いっぱいあるんだよな。「いや、かみさんがねえ・・・」とか「お金がねえ・・・」とか「時間がねえ・・・」とか止める理由はいくらでも作れる。ウジウジ言ってないでやればいいのに。やったらさ、世界が変わるんだから。でもやらないのは結局それほど好きじゃないんだよな、だったら言わなきゃいいのに。出来君もそうだろうなあ。まあ仕方ない。」

D:「私は「ヤル」と言ったことは必ずやる人間ですよ。まあ見ててください。その時はバイク教えてくださいね。」

私は本当に失礼でした。初めて訪問させていただいたのに、奥さんに夕食まで作っていただき、ごちそうになって、結局10時間以上もお邪魔してしまいました。今から5年半前、まだまだ若かったので、さらに失礼極まりない言葉が止まりません。立花さんは終始おだやかな大人の笑顔で私の話を聞いてくださいました。

T:「最近のクルマはどれもつまらんなあ。最近の若い人たちはクルマの・・・・」
私は憧れの立花さんが嘆くのを見たくありませんでした。

D:「私も同感です。ただ作品や人を評価するのは簡単です。これだ!というクルマがないなら、それを創り出して表現して、世に示していただけないでしょうか。ロードスターベースでも良いのではないですか?立花さんの関わった作品はどれも確かに素晴らしく、充分に日本の自動車文化に貢献してきたと思っていますし、それを知っている人も多いです。その一方、M2以来、あまり表に出て来られていないこともあり、最近の若い人はおそらく立花さんのことを知りません。今後、立花さんの精神をしっかりと受け継いだクルマや後輩が、マツダから出てくるようにもう一度、前に出ていただきたいのです。自動車業界、スポーツカー開発者に対して、リアルタイムでメッセージを伝えて欲しいのです。このままでは、日本のスポーツカーが私の好きな味のあるスポーツカーが絶滅してしまいそうで、心配なんです。
立花さんの書いた本、『なぜ、日本車は愛されないのか。』読ませていただきました。やさしく書いてあるけど、厳しい評価ですよね。つまり、今、売っている日本車たちに納得いかないということですよね。立花さんの信頼できる後輩は誰ですか。『俺の考えをこいつこそ継承してくれている』という人は?」

T:「そこまでは・・・いないなあ。なかなかいないんだって」、

D:「じゃあ、マツダの中でこいつには適わないという人は?」、

T:「ん~、それもいないなあ。若い子にはね、俺を超えてみせろ!と言っていたんだけどなあ。もう会社を辞めてしまったからな。」、

D:「立花さん、立花さんは本当に凄いですよ。今日、いろいろお話を聞かせていただいてよくわかりました。これほどクルマが好きでいろいろ知っている人が創ったからM2 1001に惹かれたんだと思いました。頑張って世に出してくれて、本当にありがとうございました。でもですね、後輩を育ててから辞めてもらわなくては困ります。立花さんを超えられる人なんてそんなにいるわけじゃないじゃないですか。俺を超えて見せろじゃ、「無理だ~」って、なってしまいますよ。どんな方法でも良いから後輩に『クルマとはなんたるか』を見せて継承してきて欲しかったです。クルマを取り巻く状況はどんどん変わってきているじゃないですか。これから5年、10年後はどうなっているかわかりません。スポーツカー人気もこのところあまり良くないじゃないですか。元気の出るスポーツカーをもう一度作って世に出してください。立花さんが元気にそれをしている姿を見て、「よ~し、負けないぞ!見てろよ立花!」ってマツダや他のメーカーの開発の人たちが奮起するんじゃないんですか?今のヌルい状況のまま行ったら、本当にやばいですよ。5年後、10年後に今のM2 1001と全く同じくらいの信者がいるクルマが想像できますか?いないでしょ?またM2のようなクルマを世に出してください。そうでないと私のような日本人もいなくなってしまいますよ。『俺を超えてみせろ!』が立花さん流の教え方なら、後輩たちに伝わるまで、それを貫き通してください。私、応援してますから。」

T:「・・・・。でもなあ、いろいろ難しいんだよ。そりゃクルマは好きさ、やりたい気持ちはあるって。でもなあ・・・何やるにも金はかかるし、バイクのこともあるから時間もないしなあ・・。ちょっとなかなかなあ・・・。もうバイクの世界に入ったからなあ。もうクルマはいいかな。出来くんもバイクの世界で楽しもうよ。」

D:「何言ってるんですか!立花さん、さっき私にバイクの話で言ってたじゃないですか。やらない理由なんていくらでもあるって。お金と時間は作るものだって。好きなクルマ創りをもう一回やってください!これだ!っていうのを見せてくださいよ。「あの本の意味するところの良い車とはこれです!」みたいなものを私は見てみたいです。」

T:「そうか、出来くんはこれを言いに来たんだな。」

D:「え?いや、そうじゃないですよ。そうじゃないです。でも何か話してたら、つい熱くなってしまって。でもやっぱり必要です。『立花さん』という人をもう一度、自動車業界でドーンと見せることが今、一番衝撃的だと話してて確信しました。是非、小さな自動車メーカー作って、スポーツカーを販売してください!」

T:「ははは、面白いね、出来君は。え、わかった、じゃあ仮に作るとして夢物語の話しようか。クルマはさ、ゼロから作ったら大変だよ。エンジンもらってきて、シャシーは?そりゃFRだろ?大変だよなあ。」

D:「今、発売されているクルマベースで作って、その成功を繰り返して、お客さんがいる中でだんだんシャシーを内製して、エンジンを内製していけば自動車メーカーになれるんでしょ?でも実際には自動車のラインってアッセンブリーして組み立てているだけ。きちんとした企画があれば、それが内製であるかないかは現代においては重要でないと思います。立花さんが良いと思う車があればそれをベースとしてはどうですか?」

T:「なかなかないんだよ。うん、でもNBかな!やっぱりロードスターだなあ。」

D:「そうですよね!あのシャシーは基本的にNAが出た時と全く同じの改良型ですよね。そうか、ロードスターベースの立花スペシャル見てみたいなあ。」

T:「そうやっぱりロードスターベースがベストだろうなあ。いつかそんなことが出来るといいなあ。でもバイクが忙しいからなあ。」

D:「わかりました。じゃあ、私がバイクの免許を取ってサーキットを走りますから、立花さんはもう一度クルマの世界にガツンと出て、クルマを作ってください。約束ですよ。」

T:「だから出来くん、約束は出来ないって、でも検討します。真剣にね。ありがとう。」

私は本当にTDを創る事など全くこの時点では考えていませんでした。立花さんに「この説得に来たのか」と聞かれて、驚きました。これは本当のことです。彼が前に出ることによって広がる波及効果で、クルマについて皆が向き合い、人々の心に残り、それが何かを動かすような気がしました。
私たちがどれほど優れたクルマを作って、雑誌で取り上げてくれたとしても自動車メーカーの開発者の人たちは見てくれないでしょう。しかし、『立花さんが創ったクルマ』はメーカーの人たちも注目するし、ジャーナリストもひとめ見てみたいし、乗ってみたい人は多いと思いました。つまり世間が必要としているのです。その才能を持った人はそれを示すべきだと思いました。だから、知らず知らずに説得していたのです。
しかし、目的のない私でしたが、本当はひとつありました。レースの話です。それを最後にお話しました。

D:「私はどうしてもフォーミュラレースに出場したいんです。たぶんF3かな?そのために生まれて来たと思っているし、これまで全てを捧げてきたのに満足できるチャレンジをちゃんとしたことがないんです。何か方法はないでしょうか。立花さんほどの方なら、いろいろ事情をご存知ないでしょうか。」

T:「フォーミュラはわからないなあ。スポンサーも今、難しいよなあ。4輪のレースは金がかかるからなあ。2輪はどうかな?バイクなら上まで腕で上がれるし、ワークス入りできるかもしれないだけど・・・。」

D:「そうですね、2輪はいいですね。確かに4輪はお金がかかりすぎる。私のような人間が出られるものではないと解っています。でも諦められないです。なんとか道を探したいんです。」

私はこんな方法はどう思いますか?これではどうでしょうか?と立花さんに投げかけましたが、メーカーとレースの関係も良く知っている立花さんの表情ははっきりしないものでした。「相当難しいのだ。私のような人間がF3に出場するということは・・・」それを彼の表情から痛感しました。そしてもうそれ以上聞くのは止めました。

D:「でもね、立花さん、夢は諦めなければいつか叶うって信じてるんです。例え思い通りに叶わなくてもその中で、納得のいく何かを見つけられるって。絶対出ますよ!1年だけはきっちり走りきるシーズンを作る。それはF3かフォミュラニッポンか、ヨーロッパのレースかわからないけど、F3以上のフォーミュラに出るよ!」

T:「そうか、力になれなくてすまないねえ。でも応援してるよ。」

D:「今日はありがとうございました。本当に楽しかったです。というかこんな長時間お邪魔して、生意気に勝手を言ってすみません。どうか許してください。」

T:「いやいやとんでもない。遠いところありがとう。」

D:「でも立花さん、ロードスターベースのスペシャルマシン創ってくださいね。期待して待ってます。必ず買いますよ。私もバイクの免許とりますから。そしたら報告します。」

T:「いやあ、出来くんのバイク免許楽しみだなあ。じゃあ気をつけて」

D:「本当にありがとうございました。」

私は立花家を出て、大阪の友人の家に向かいました。

立花さんは本当にクルマが好きで、とても優しい人でした。一本筋が通っていて、格好良いけど可愛い、ちょっとやんちゃな大人。『いつまでもそのままでいて欲しいなあ』と、思ったことを憶えています。

一方、私の頭の中はフォーミュラレースの可能性をこれからどうやって見つけていこうかということでいっぱいでした。もちろん、ロードスターもスポーツカーも大好き。でなければ、こんな仕事してません。私の趣味の拘りすぎの部分をお見せしてるような仕事ですから、大好きです。でも普通に考えて、クルマ出すとかそんなこと思いもしません。なぜならその時は、ディーテクニックがショップとなってから、まだ2年も経ってなかったからです。全くコンプリートカーを販売するなど考えておらず、「もし立花さんがクルマを出したら、ディーテクニックでも1台買わなくっちゃ。それまで、お金貯めておこう。」とか考えながら、帰りの高速を走っていました。

出来利弘

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