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2009年7月21日 (火)

TD-1001R開発物語10 決断の時、コンプリートカーを作るのか!?

2004年3月7日、立花さんは私に言いました。「やるのか、やらないかだな。やるなら協力するぞ。」それは、運命の分かれ道でした。立花さんが自分の考えのクルマを出したいという気持ちと私の煮詰めてきたNB6Cのスペシャルセッティングがひとつになることですぐにも『TD-1001R』が世に出せるかもしれない。私は「はい。やります。協力してください。」と即答しました。それは、『未来の日本の技術者たちへのメッセージ』を送ることができるチャンスは今しかないと考えたからです。
今振り返れば、この時、覚悟を決めて一歩前に進んだことで、私は人生の階段を一歩登れたような気がしています。

立花さんは「NBのスペシャルをやるからには『見た目』が変わっていないとダメだ」と言いました。そして「トータルバランスが抜群に優れていないといけない」と。「パーツもクルマも併売すれば良い」とアドバイスをくれました。

私は「NB6Cをベースとして、このシャシーの最後を飾るにふさわしいクルマにしたい。NB初の1トン切り、990kgの車台重量を意地でも実現したい。NB8Cの性能を超えたい。ディーテクニックのシャシー、エンジンセッティング能力が優れていることを証明したい。」と考えました。
そして、もちろん、そういったこと以上に『立花さんをもういちどメディアに露出させたい!』と思いました。なぜか解らないのですが、そうしたかった。それによって、ほんの少しでもスポーツカーを取り巻く世界が変わるような気がしたのです。私がひとりでどんなに頑張って良いものを作ってもそれは多くの人々には届きません。彼に協力し、メディアに出てもらうことで、この『TD-1001R』が多くの技術者たちの目に留まるかもしれない。衝撃をあたえる可能性も否定できない。若者たちの目に留まり、そこからスポーツカーの未来が変わるかもしれません。『日本のスポーツカーの歴史を変える』それは大げさかもしれませんが、『立花啓毅』という彼の今まで積み上げてきたその技術力によって、世の中が変わるの可能性が例え1%以上あるのであれば、それに賭けてみようと思いました。もちろん私がひとりでやったのでは全く1%にもなりません。私はこの『使命感』に突き動かされ、『TD-1001Rの開発の決定』を下しました。
『スポーツカーの未来のために、日本の技術者たちへのメッセージカーを作るのだ!』と意気込んだのです。今思えばお恥ずかしい限りです。もちろん尊敬する元マツダの超技術者、立花さんとご一緒できる楽しみもありましたし、緊張感もありましたが、それ以上に自分にしか出来ない状況。私自身の勇気さえあれば、『この世に一台のクルマが生まれること』に2004年当時の私は価値を感じ、それを優先させました。

そこに込められたメッセージ。それは、
「マツダの関係者のみなさん、こんなに素晴らしいクルマを開発、販売してくれて、本当にありがとう!私はこのクルマで人生が変わりました!日本のビジネスマン、技術者のパワーは本当に凄いぞ!日本の技術は凄い!」「スポーツカーの楽しさはまだまだある!ジャーナリストもこんなに喜んで乗っている。こんなクルマを作ってください!」「若い人でもクルマが好きな人がこんなにもいるよ!」「引退してからだって、技術者として夢のある仕事が出来る可能性がある!」「クルマの広報活動に技術者をもっと積極的に出そうよ!インパクトあるでしょう!?」などだった。

TD-1001Rはもちろん、クルマとして高いエンジン性能、シャシー性能があり、デザインも素晴らしかった。しかし、それ以上に、この時代において未来の技術者たちにメッセージを送ることができたと思えることが最も大きかった。このクルマのソフト面が及ぼした影響はとても大きい。それは後に、各自動車メーカーの多くの若き技術者、デザイナー達が次々とディーテクニックを訪問してくれたことでも証明されている。いったいどれほど多くの技術者達がこのマシンを見て、試乗してくれたことでしょう。その人数は実に100人以上にのぼりました。

出来利弘

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