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2009年7月 6日 (月)

幻のM2 1001 -000 スピードイエロー 

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M2 1001-000 Speed Yellow
300台限定で生産された稀少なM2 1001 しかし、その中でもこのクルマはシリアルナンバーが「000」となっている。
それはこのクルマが元M2の広報車両だったことによるものです。300台以外に生産されたもので現存するのは3台。そのうちの1台がこれです。


P10000421720ccまでボアアップされたエンジン、幌を取り外しハードトップ仕様となっていること、ディーテクニックオリジナルの車高調整サスキットが入っていること意外はほぼTD-1001Rと同じような仕様となっているM2 1001です。
P1000043シートはエスケレートに変更されています。これはこちらの方が着座位置が低いためです。フロントGTウイングはカーボン製、リヤウイングもカーボン、トランクもカーボンとなっています。フロントバンパーは純正の約半分の重さとなるCLUB M2バンパーに変更されています。
ホイールはレイズCE28Nの7J-16 インチ。
私は1989年当時、ユーノスロードスター(NA6CE)が発表になると同時に父と共同で購入。クラシックレッドのスペシャルパッケージ車を手に入れていました。その後、1992年にM2 1001が発売となり、憧れはありましたが、当時はFJ1600レース活動の中、乗り換えるような余裕はありませんでした。すぐに乗り換えるのではなく、自分の車を大切にしたいという思いもありました。新車のM2を見送ってしまったものの1001とM2の活動が非常に気になり、M2 ビルに何度も足を運んでいました。そんな時、交通事故にあります。1993年、渋滞の最後尾に停車していた私の赤いロードスターにトラックが追突、クルマの後部が大破してしまう大きな事故に会います。怪我から完治した私はM2ビルの個人売買のコーナーにあった2年落ち、走行20000kmのこのM2を見つけました。連絡を取り、試乗をして、すぐに購入を決めました。オーナーは「フェラーリ328GTBも持っているが、これはもっと危なくて、しかも速いし怖いので手放す。」と言っていました。私は前のクルマの保険で出たお金があったので、ほとんど出費がなく、M2 1001を手に入れることが出来たのです。クルマを受け取って帰る、その時の感動は今もよく憶えています。運転には自信があったので大丈夫と思っていましたが、ノーマルの1001は本当になかなかのスパルタンさでした。
当時父には他のクルマもあったので、このM2はほとんど私のもののようでした。M2 1001はその多くの部分が好きでした。ずっとそのまま乗っていたのですが、当時勤めていたショップには多くのM2 1001のお客様が来店していました。毎日何台もの1001が並ぶ中に埋もれる自分のクルマを見て、「もっと自分だけの特別なM2 1001にしたい」という想いが膨らんでいきました。1996年でレース活動を休止せざるを得なかった私は当時の環境を生かして、このクルマをチューニングしていきました。そして、自分の好きなポルシェのスピードイエローにオールペイントも行ったのです。なぜか?それは最初にM2 のスクープ記事を見たドライバーでイエローで掲載されていたことが大きいかもしれません。当時のバックナンバーはこちらです。懐かしいですね。 P1000165
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「150馬力かもしれない!2000ccも出るかもしれない。」などと書いているようです。そんなの出たらいいなあと若い私は思ったものですが、今のNCはイエローで170馬力、2000cc。当時の理想を超えたスペックで売っていることに驚きます。
1997年ごろはまだ、M2 1001をいきなりオールペイントした人はほとんどいなかったと記憶しています。「M2で最もインパクトがある方法はボディカラーだ!しかもサンバーストイエローと色調が違う方が特別感がある!」とこれを行いました。当時塗装を担当してくれた職人もM2 1001オーナー!私の細かい注文に応え、しかも愛情たっぷりで仕上げてくれました。

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ボディ下半分にあったピッチング塗装を剥いで、ツルツルの通常塗装にしたり、サイドマーカーを埋めてスムージングしたり、フェンダーの耳をちゃんと折ってさび止めするなど細かい部分まで手が込んでいました。しかし、仕上がったころには私も独立。ディーテックニックの設立に向けて動き始めます。2000年、ハイパーレブの取材があり、このクルマをトップの記事に掲載してもらいました。しかも当時の文章の書き出しには「ロードスター乗りで知らない人はいない出来利弘さん。」とか書いてあったと思いますが、見た本人がびっくり!「ロードスター乗りで知っている人はほとんどいないの間違いやろ~!」と自分で突っ込みしてたことを思い出します。しかし、その記事を書いてくれたモータージャーナリストの方は真面目で優しい素敵な方でした。噂とイエローM2 1001は1人歩きし、本当に有名になってしまったという落ちまでありました。全国にはこれを真似した?イエロー01仕様レプリカも多数登場。「出来さんの真似しました。」とうれしそうに写真を送ってきてくれたりしたこと思い出します。とにかく話題となったイエロー01でした。その後、2003年には、9万kmを迎え、エンジンO/Hを期に一旦、1600のノーマルエンジンとコンピュータを搭載し、富士チャンピオンシップロードスターN-0レースにチャレンジします。

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理由はいくつかありました。ドライビング講座で講師をしながらもラジアル市販タイヤでのレース、箱型ツーリングカーレースを経験したことのない私は、飛び込んでみないと解らない、その細かい部分を勉強するために出場してみようと考えたこと。将来TDのようなコンプリートカーを作る際のデータも取りたかった。もうひとつはこれほどレースをやってきたのに自分のM2でレースを使っての経験が全くなかったこと。出来れば自分のクルマをレギュレーションに合わせて出場してみようと考えました。幌のままでは3位前後しか走行出来ず、終盤には幌を外してハードトップ、エアコンも取り外して、他のクルマと同条件にすることで、2003年N0でこのマシンは優勝も経験しました。しかし、レースカーとストリートを共用することは難しいものだと感じました。この点は、NR-Aパーティレースはレギュレーションで規制してくれているので、より良かったと思います。
2004年にはまた、1720ccのチューニングエンジンとコンピュータを搭載し、現在の姿となりました。その後、カーボントランクの効果チェック、15インチ、16インチの比較、吸排気効率テスト、フロントオーバーハング重量テスト、剛性バランステストなどNA6CEの良さとはなにかを研究する様々なテストに、このM2 1001は活躍しました。このクルマがいなければ、TD-1001Rは開発できませんでした。


出来利弘

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