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2009年7月22日 (水)

スカイライン・ジャパン 2000GTターボ研究

J_031 J_011_3 NISSAN SKYLINE JAPAN 2000GT-TURBO

1981年式、日産スカイラインのトップグレード、2000GT-E・Sターボ。ボディ色はブラックメタリック、ゴールドライン&ステッカーのモデルです。

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Japan_rear31_2 当時の日産自動車の勢いを感じさせるクルマでした。オイルショックの中でとても人気の高かったこのスカイラインジャパンシリーズはファミリーカーとして、またスポーツツーリングカーとしてもみんなの憧れでした。そんな中登場したこの「2000GT-TURBO!」いったいどんな加速をするのだろうか?と気になって仕方がなかったことを思い出します。当時、西部警察にも登場して、チューニングされたジャパンターボが走る姿に魅せられた人も多かったのではないでしょうか。145PS(グロス)のパワーは今乗ってみるとそれほどのものではありませんが、L型エンジンは味もあり、ボディも現在としては軽い(1250kg)なので、充分に良い加速をしてくれます。それより怖いのはブレーキ!13インチも履けるブレーキは4輪ディスクブレーキ(GT-E、GT-E・Sのみ)を装着していてもスピードを上げると簡単にフェードしてしまいます。現代の車と一緒に走るのはなかなか危険です・・・。Japan_front21まあ、シャシー廻りは基本的にGC10ハコスカと同じですよ!しかも信じられないことに基本的にそのままでR31までこのシャシーは使われている!!!凄く長いライフのフロントストラット、リヤセミトレーニングアームなのです!!R30まではステアリングもラック&ピニオンではなく、リサーキュレーティング&ボールなんです!!ボンネットは信じられないほど重い!!ドアも重い!でもボディ剛性はしっかりある。リヤサイドウインドもしっかり手回しで全開になる。後ろの席も広く、トランクもなかなか広いのにボディは小さい。もちろん5ナンバー、全幅1625mm。意外に乗りやすい。当時低いと感じた着座位置は今乗るとめちゃくちゃ高い。この高さから見れば絶壁インパネもなかなか。全体的に「男の乗り物」の匂いがぷんぷんします。日本での扱い易さを徹底していたこともはっきりわかります。
どうしてこの時代のクルマが錆びてなくなってしまったクルマが多いのか?それは所有してみればすぐにわかります。もう新車で生まれた時からそれは始まっているのです。まず水抜きの技術が確立されていないと思います。トランク両端に水がたまりやすいのですが、そこに水が来た時に抜ける場所がありません。それでリヤフェンダー下端が錆びてしまうことが多いようです。しかもこのテールランプが埋め込まれているグリルがプラスティック製、すぐに反ってしまって、そこからトランク内に雨水が浸入します。なんらかの方法で対処してもボディがねじれると水が入ります。前後バンパーはスチール製。前方、後方から小さな小石が飛ぶと間に噛み込みます。そして振動で擦れて、塗装が剥げ、錆び始めます。さらに!フロントウインドやサイドウインドモールは新車時にガリガリの金属クリップ状で埋め込みするようになっていて、装着する際に塗装を剥いで入ることも多く、そこから錆が発生するのは当然のようになっていると言った具合です。マニアはこのクリップをカットして、現代の優秀な両面テープでモールなどを固定しているそうです。昭和の時代の日本のクルマはどのメーカーのものでも多かれ少なかれこういったことはあるようです。まだそこまで解っていなかったのでしょうか。時代を感じます。私もこの時代の車は好きですが、一度所有してみたいという人はまず「屋内保管できるガレージ」そして、錆びても対策をしながら、気長に付き合っていく広い心が必要であることはお知らせしておきます。私もいつかその環境を手に入れて、「60年代~80年代、良い車を作ろうと思考錯誤しているころの日本車」をコレクションしてみたいなどと夢見ています。

このクルマに乗るといかに急速に日本の自動車が発展していったかの歴史を見るかのようです。現代は5年とか8年とか言ってもそれほど車のデザイン、性能など変わりませんが、この時代は違います。このスカイラインジャパンがデビューした年からわずか3年で丸型4等ヘッドライトは角型2灯式となり、ハロゲンヘッドライトになっています。タイヤも70タイヤが登場し、エンジンはターボチャージャーが主流になります。前モデルではキャブレターだったものもインジェクションとなり、エンジンルームにはキャブ式から苦労して改造された後がうかがえます。リヤワイパーも珍しい装備、ヘッドランプウォッシャーなども別タンクとモーターで追加されていて、重そうです。車高はまだ舗装されていない道路を通ることも考慮されたものとなっています。このころからエアコン、カセットデッキ、パワーステアリングがオプションで選べる車が増えてきています。電動リモコンフェンダーミラーもこのころ初めて採用されました。この70タイヤを履きこなすサスペンションとボディとしてはこのジャパンはとても優れたバランスを持った車です。エンジン、シャシーが少しスローですが、「良いクルマに乗っている。一生懸命テストを繰り返し、熟成した。」という技術者の気持ちが伝わってくるクルマでした。あまり取り上げられることのないジャパンですが、実に味のある良いクルマでした。なぜか乗っていて楽しくなる。遠くまで出かけたくなる。「この感覚がどこから来るものなのか?」私は3年間所有する中で良く研究し、日本のクルマが一番輝く時代に向かって行く時、何が起こっていたのかを少しですが理解できたような気がします。開発者たちはそれぞれ、プロ意識に燃え、ひとつの方向に向かって車を作っていたのだと思いました。また、ひとつひとつのパーツを開発する人もそこに拘りを持ち、作った後が随所に見られます。「量産車でこんなに手間をかけることができたんだ・・・。と関心してしまう場所がたくさんあります。効率重視ばかりでは出せない良いものを見せてもらいました。
Japan_rear21Japan_rear31  「あるものを活かす」という、工夫、やり通す意気込みも感じられました。「技術の日産」を肌で感じます。私はちょっと変わっているので、この後のR30以降も良いのですが、そこに向かっていく前で、ハコスカほど自由の無い中でどうやってまとめられているのかがとても気になるのです。「制約のある中で、良いものを創る日本の技術者の意地」は相当なものです。この後、フルモデルチェンジしたスカイラインは空気抵抗にも一段と配慮して、DOHCエンジンのRSが登場、ターボなしで150PS、そしてそのRSターボは190PS、インタークーラー追加で205PSとなったのは有名な話です。他メーカーのクルマも含め、こんなに毎年進化するのでは見ていて楽しくないはずがありません。タイヤも60タイヤが登場し、サスペンションは可変式ショックアブソーバーが登場するなど凄い進化です。この後のR31では新型6気筒のRB20が登場し、4輪操舵システムHICASも登場、そしてR32スカイラインでは280PSのRB26DETT搭載のスカイラインGT-Rが復活!サスペンションも4輪マルチリンクに進化し、タイヤは遂に50タイヤ!FRベースの4WDのアテーサE-TS搭載になるなどの大幅進化。しかし、ジャパンターボが1980年で、GT-R登場は1989年、この時間の短さは本当に信じられません。J_041このジャパンターボは前オーナーが1989年に全てのパーツをリフレッシュしたと言っていました。ダンパー、スプリング、ブッシュ、ウインドモール類やバンパーを交換したそうです。またゴールドラインと 2000GT-TURBOのステッカーも新品を取り寄せ、交換したということでした。「え、そんなの出たの?信じられない!」と私は言いましたが、1989年はまだこのクルマが絶版になってから8年しか経っていません。パーツがちゃんと出ていても不思議はありません。今、ロードスターで言えば、NBの前期モデルみたいなものです。そりゃまだパーツも出ます。でもR32GT-Rの横でちょっと前のクルマとしてジャパンターボがリフレッシュですよ。ね?おかしいよね。今で言うところの20年分以上の進化ではないか?そんなジャパンも私の手元にして、パワーステアリングホースにオイルにじみあり、交換しようとパーツを頼むとなんと2万円!!え!5000円じゃないのか??そう古くなるとクルマのパーツはどんどん高くなる。NAロードスターのパーツももうすでに20%くらい値上がりしているが、この程度で済んでいることが奇跡的。マツダに本当に感謝したい。それでもNAオーナーはリフレッシュするなら急いだ方が良い。なんか20周年終わると純正パーツの値段も一気に上がったりしないか心配。昔の値段の2倍以上になっても全く不思議ではない。

Japan_recaro1 子供のころに憧れたスカGターボをいつか手にしようと探していたとき、このジャパンターボと出会い、3年間、所有しました。ディーテクニックが横浜の都筑に来て、「屋内保管できる!」ということで購入したのですが、当時ディーテクニック店内はだんだんと入れられなくなり・・・。しかもTD-1001Rを開発、展開するためもあり、外に置いては錆びてしまう時代の車なので、泣く泣く、手放すこととなりました。 2004年3月、次のオーナーの元へと旅立っていきました。
とても良い車でした。たくさん勉強させてもらいました。このクルマと共に過ごした経験もTD-1001Rには間違いなく注入されています。

出来利弘

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