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2009年6月24日 (水)

2004年 TD-1001R コンプリートカーの開発、発表 ディーテクニック物語7

Td58 2004年、ビックニュースはなんといっても『TD-1001R』を10月に発売したこと。
元マツダでロードスターのプロジェクトにも関わり、M2 1001の生みの親である立花啓毅と私がコラボレーションし、1台のクルマを完成させた。
マツダロードスター1600(NB6C)の新車をベースとしたチューンド・コンプリートカーは340万円(税別)。株式会社ディーテクニックから、50台限定で販売した。

立花啓毅さんとは、彼がM2の時代に少し会話をしたことがある程度だったが、2003年10月M2ミーティングにゲストで来ていたことで再会する。このM2ミーティングは、昔私がいたショップで販売したM2の中古車を購入したオーナー達が人と人とのふれあいを大切にしながら、創りあげてくれたイベント。後日、広島を訪れた私に、立花さんは自分でレンガを積み上げたという自慢のガレージを私に見せてくれた。床は石畳、アピトンという硬い木でで出来た床でバイクの作業をするのだという。この彼のガレージで見た木の床が私はとても気に入った。私は立花さんに大工さんを紹介してもらい、ディーテクニックの床にアピトンを敷き詰めた。見事な職人技で敷き詰められた床は今も生きている。真鍮を張った作業台、味のある足場板のテーブルも立花さんのデザインによるもの。ある日突然、「店内をデザインしてやろう」と腕を振るってくれた。2004年2月のことだった。
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こうして現在の姿となったディーテクニックに立花さん、そして元マツダでRX-7の開発主査も務められた小早川隆治さんが揃って来店された。このとき小早川さんのご紹介でアメリカのレーシングビート社製品の販売をスタートすることとなる。お二人の前でのマフラー装着、テストしたことが懐かしい。Nb_2 その後、何度か東京に足を運ばれた立花さんに「NR-Aを卒業した人がNB6Cで遊べるチューニングパーツを開発したい。それのチューニングカーを提案して、もうひとつ光のあたらないNB6Cを元気にしたい。」と話をした。「NB8Cはみんなに愛されてる。しかしその一方、NA6CEから16年たった今も基本同じで改善されたB6エンジンとシャシーが手に入る。NCはきっといいだろうけど、ライトウェイトNA6CEの良き味わいを新車で最後にみんなに味わって欲しい。新車のNB6Cを応援してあげたい。」強く訴えた。その一方で「立花さんはもういちど表に出て、ガツンっとスポーツカーを語ってほしい。最近の若い人たちに刺激を与えてほしいんです。出来れば車を作って販売してほしいし、新車ベースでやってほしい。」この話は全く別であったが、あるときひとつになる。「ディーテクニックで新車ベースで発売してしまおう。」ということになった。TDプロジェクトが動き出したこのとき5月。立花さんデザインのエクステリア。出来がセッティングしたシャシーが基本となり、それぞれに激論を交わしながら、急速に煮詰められた。
Nb_3 一方、レース活動は加藤彰彬選手がNB6Cでパーティレース参戦。デビューレースから全て優勝という活躍だった。加藤のマシンからのアライメントデータなどもTDの開発にも貢献した。
16インチ、吸排気パーツのテストもこのマシンで行った。そして、7月加藤もディーテクニックに加入。インテリアパーツ、細部の煮詰めを担当し、開発は急速に加速度を増した8月31日には実走行可能なTD-1001Rプロトタイプを2台製作し、カーグラフィック誌の取材依頼に間に合わせた。
企画から実作業が本格的に動き出したのは6月ということを考えると実質3ヶ月でTDは開発されたことになる。まあ本当に無茶をしたものだと思う。徹底したサーキットロングランテストなどそのテストスケジュール、メニューは相当にハードなものだった。
Td 最後は量産体制を整え、カタログ撮影、全ての細かい段取りを詰めて、10月1日の発売に間に合わせた。この日がちょうどカーグラフィック誌の発売日。デビューと共に一気に話題となり、各雑誌で取り上げられることとなる。発売日が1001だったことは翌年になってから気がついた。10年10万km、トラブルなく走るチューンドカーとして企画され、5年、5万km、全く問題なく補修パーツ供給体制を整えることとした(2009年10月でそれが達成される!)。チューンドカー、エクステリア、インテリア、エンジン、シャシー、全てを大きく変更した車への不安を全て取り払う夢のクルマを生み出したのだ。TD-1001Rの生産体制確保のために第2工場(通称、アート工房)を作り、大量のパーツ在庫と共に極秘で開発作業が進められた。駐車場は50台分も増やし、裏に100坪の土地も借りた。エンジンを組む第3工場、FRP生産、塗装工場、たくさんの協力者が現れ、瞬間最大101名もの人間がTD-1001Rの開発に携わった計算となる!彼らの熱いハートがなければ生まれなかった本当に凄いクルマ。「情熱で人は動くのだ」ということを私に教えてくれた私にとっても名車だ。
立花啓毅が「やるのかやらないのかどっちだ!?やるなら手を貸すぞ!」あのとき私がすぐに「やりましょう!」と言わなかったら、TD-1001Rは永遠に生まれることはなかっただろう。
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個人的にはホンダNSR250を購入した!レースのため怪我をしてはいけないと控えていたが、4月に初めて免許取得。
親友が大切にしていたR32スカイラインGT-Rを売るという。このクルマ、私が借りていたクルマで愛着もあり譲りうけることに。屋内保管が困難となっていたスカイラインジャパン2000GTターボを売却。

<2004年、主な出来事、主催&参加イベント>

・1月11日(土)~13日(祝) ディーテクニック 
                 ミニ・フリーマーケット

・1月17日(土)、18日(日) ディーテクニックRX-8ミーティング

・1月24日(土)、25日(日) ディーテクニック
                 M2 1001ミーティング

・1月28日(水) 第3回ディーテクニック初心者向け
          ジムカーナ練習会 in 筑波

・2月22日(日) 第4回ディーテクニック初心者向け
          ジムカーナ練習会 in 筑波

・3月3日(水) 第7回ディーテクニック初心者向け
         サーキット走行会 in 筑波1000

・5月5日(祝) パーティレース第1戦NR-A ロードスター
 デビューレースにて、加藤彰彬選手初のポールtoウィン!
 ディーテクニックドライバー 3人目の優勝者

・5月15日(土) 第8回ディーテクニック初心者向け
         サーキット走行会 in 筑波1000
・5月15日(土) マリナブルーミーティング in 筑波1000

・5月30日(日) ロードスター軽井沢ミーティング

・6月3日(木) 第8回ディーテクニック初心者向け
         サーキット走行会 in 筑波1000

・7月7日(水) 第9回ディーテクニック初心者向け
         サーキット走行会 in 筑波1000

・7月25日(日) パーティレース第2戦NR-Aロードスター
 エンブレムクラス加藤彰彬選手 優勝、2勝目

・9月25日(土) パーティレース第3戦NR-Aロードスター
 エンブレムクラス加藤彰彬選手 優勝、3勝目

・9月26日(日) M2 ミーティング in 女神湖
 コンプリートカー「TD-1001R」のプロトタイプを極秘
 展示。「M2ミーティングから生まれた車」はここで
 初の一般公開となった。

・10月01日 新車のロードスター1600(NB6C)をベース
 としたコンプリートカー「TD-1001R」を発表、発売。
 同日、カー雑誌、カーグラフィック誌に4ページの
 カラー特集記事が掲載された。

・10月10日 中部ミーティングに初のTD-1001R展示!?
 ・・・の予定がディーテクニック前の道路が水没!
 出発できず無念の欠席。

・10月24日(日) パーティレース60分耐久レース
 ドライバーは出来利弘、加藤彰彬、立花啓毅の各選手
 はTD-1001R開発ドライバートリオ。 決勝2位

・10月24日(日) パーティレース会場にTD-1001R展示

・11月6日(土)、7日(日) CG CLUB Autumn Meet 
          グリーンピア三木にTD-1001R展示

・12月5日(日) 第10回ディーテクニック初心者向け
         サーキット走行会 in 筑波1000
         TD-1001R 助手席試乗会


その他多数

出来利弘

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