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2009年6月19日 (金)

ディーテクニック物語 1 設立とその目的

Photoディーテクニック』、それはモータースポーツとスポーツカーの未来を考え、日本の愛すべきクルマ文化を未来に継承して行きたいと願い生み出した夢のファクトリーだ。人と人とが直接会って話すことを大切にし、人間が持つプラス思考の発想がどこまで無限の可能性を秘めているかを表現するのが目的。ディーテクニックの活動はレースとストリートスポーツカーが常に深く関係している。
ここに集まるすべての人たちに、夢と希望と勇気を与えたいと願い、作ったのだ。

F3_jclass_3 1996年F3参戦時代の写真

何もかも上手く行かなかった20代を思い出す。
「フォーミュラーレーサーになるために生まれてきた」と思っていた私は、乗れなくなって1年後、東京の街で電車から降りた時、突然涙が溢れ出し、気が狂いそうになり、親友に電話をかけ、静めてもらった。2年後、高速道路を走行中、やはり突然涙が溢れ出し、パーキングの電話ボックスに駆け込み、親友に電話をかけると、「なぜ、俺は乗れないんだ。こんなに頑張ってるのに、俺が速く走れること、みんな知っているのに、どうして誰も手を貸してくれないの?もうどうなったって構わない。」大声をあげて、泣き叫び、5時間も座ったまま立ち上がれないこともあった。
 青春の全てを注ぎ込み、努力だけでは手に入らないものがあることを思い知らされ、絶望の深い谷へ落ちていった。乗れなくなって3年の月日が経った時、私はもう気力もなにも失いかけていた。ドライビングテクニックとセッティング能力意外、なんの才能もない私は仕事を辞め、フラフラと街を彷徨うだけだった。そんな私を尊敬する恩師が呼び出し、声をかけた。「お前だって世の中の役に立てるよ。人を喜ばせることができる。お前にドライビングテクニックをきちんと習いたいと思う人、きっといるさ。そういう仕事をしたらいいじゃないか。ロードスターが大好きなのも特技じゃないか。お前のセンスでパーツをセレクトしたり、開発したものを世の中に出すべき。きっとみんな喜んでくれる。真面目にやればロードスターの世界で一番になることだって出来るさ。」と私に言った。
 「そんなの俺の本意じゃないですよ。なんで苦労して得たドライビングテクニックを人に教えなくてはいけないんですか!?ロードスターは私の心の趣味の部分です。それも仕事にしてしまっては私は生きていく心のよりどころもなくなってしまう。」私はそう答えた。「お前はF-1チャンピオンにもしなったら、その後、どうしたいの?」
 私はそれに答えられなかった。20代でまだ若く、考えも浅かった。なぜ、レースが好きなのか?どうして走るのか?全ての目的を達成したら、その後、何がしたいのか?毎日自問自答し続けた。「人を喜ばせたいから、走る!」レースに勝つ!そこに関わるすべての人とそこにチャレンジした一瞬一瞬の人と人との心の会話があるからレースが好き、ひとつの難しい目的に向かって、みんなで命を燃やして走ることができるからだと。仲間がいるからこそ、レースが好きであり、結局人間が好きなんだと気が付いたんだ。そして、決断した。「もし俺がF-1ドライバーになって、活躍できていたとしたら、その後、どうするだろう?」って考えたんだ。
 『モータースポーツのファン、スポーツカーのファンが喜ぶことをたくさんしてあげたい』。そう考えると次々にアイデアが浮かんできた。
 ドライビングテクニックをわかりやすく教えて、たくさんのモータースポーツファンを増やしたい。安心して走行会デビューできる環境をつくり、もっと興味を持った人にレースに出場する喜びを。もっと優れた才能のある人には優勝するチャンスを与えられるようになりたい。チームを作り、ドライバーでなくてもスタッフで参加し、モータースポーツに参加する楽しみを教えてあげたい。チューニングショップに全く行かない人を対象に、ライトチューンの楽しさと信頼性の高いパーツで安心を届けたい。その性能を活かす場所として走行会も連れて行ってあげたい。自分のアイデアでまとめ上げた夢のコンプリートカーを販売して、スポーツカーの新たな楽しみ方を提案し、、優れた日本のエンジニアリングの世界に見せてみたい。加藤彰彬のような才能あるスタードライバーに、チャンスを与えたい。
ならばそれを先にやってしまおう!私はドライビングテクニックを思いのあるドライバーに伝授し、みんなでクルマとその文化を継承するべく、『ディーテクニック』を設立しました。「もし、必死に10年頑張って、世のためになる活動が出来たら、もういちどF3以上のプロフォーミュラからチャレンジしたい。」そう密かに考えていた。
 じっとそのときを待った私にたくさんの応援者が現れた。座学のドライビング講座、TD-1001R、RX-8 TD-Version、TCR 2000、全ての企画は成功し、走行会、パーティレースも成功を収めた。チャンスは7年後、突然訪れた。予定より3年も早い。しかし、すでにフォーミュラレースから離れ、12年が過ぎている。もういちどあの闘争心を取り戻し、戦えるのか?わからない。しかし、自分にとって今が一番若く、チャレンジできる環境をみんなが作ってくれた。こんな幸せなことはないじゃないか。

 私は「もう乗れない、間に合わない」と思っていたが、時代は『ディーテクニック』を後押し、たくさんのファンに囲まれながら、チャンスは巡ってきた。今年、1年きりのチャンスだ。ここで結果を残せなければ来年はない。最初で最後のチャンス。1000分の1の可能性を求めて、2009年アメリカ、スターマツダレースへのチャレンジが始まった。

出来利弘
  
                                     
  
  

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