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2009年1月19日 (月)

Star Mazda参戦への道7 ホームステイ家族の協力

P1000016 2008年、RX-8マスターズシリーズチャンピオンを獲得した。その勢いでスターマツダをテストドライブだけでも受けて、チャンスを探ろうと考えていた。

RCOJ水落さんから、「アメリカは何が起きるかわからない。ヘルメットとスーツ持っていけ!お前、なんか成功する気がするよ。」と応援の言葉をもらった。「水落さんは、今回のアメリカのチャレンジ、無謀だとか反対とかしないんですね。いつもそれはどうかなとか言うじゃないですか!」「だってなんかわかんないけど、上手く行きそうなきがするからさ。」このありがたい言葉を胸に秘め、元気にレーシングウェアを持ってアメリカへ渡った。しかし、テストでも非常に高いスキルとコストが必要であり、簡単に実現するような話ではなく、時間だけが過ぎ、いよいよあと一週間で、帰国の予定が迫っていた。
どうしてもチャレンジしたかったフォーミュラレース。しかし、F3よりも高いパーフォーマンスを発揮するマシンをテストし、2009年のフル参戦に繫げることは想像以上に困難で、超えなければならないハードルが高く、しかもその数は100を超えるものだった。大袈裟ではない。本当にそうなのだ。チームと契約を交わし、準備を進めている今もその戦いは続いており、まだ開幕戦のグリットにマシンを並べられる保証はない。まるで高い山に登るようにひとつずつクリアしていくしかない。

私は最終戦のラグナセカに行くかどうか、迷っていた「行って交渉してもスポンサーもなく、フルシーズンの参戦コストに耐える体力がない。出るならば、チャンピオンを狙っていかなくては意味がない。しかし、どのようにして、チームとコミュニケーションを取り、理解しあえばよいのか。」。12年このためにやってきたが、貯めた資金よりもレースのコストが上回り、マシンはどんどん遠のいていく。友人が「今度、サーキットでチームを紹介してくれる」と言っていた。しかし、紹介を受けてどうなるというんだ!?このハイレベルなレースを戦う資金も充分には持ち込めず、チームと上手に関係を築きあげていく自信もまだなかった。それでもこのアメリカに来たチャンスに出来る限りの努力をしようと決め、たくさんの人に会い、先輩の素晴らしいアドバイスを受けることができた。英会話の勉強もした。ホームステイの家族との交流から人としての大切さ、人間愛を教えてもらった。これを最後に帰った方がよいのか。そんなことを考えていたある夜、チームを紹介してくれるという友人から連絡が入った。「なぜ、Road Atlantaに来なかったのか?私はチームを紹介したかったのに」と。そして、「最終レースのマツダレースウェイ(ラグナセカ)には来てね。」とあった。そのメールの返事を夜中にリビングで書いている私のところにホームステイファーザーのサムさんがやってきた。「まだ、起きてたんだ。何してるの?」「最終戦のラグナセカ(マツダレースウェイ)を見学に行くか迷ってるんです。行けばテストするのか?来年はどうするのか?という話になる。友人が紹介してくれるチームにも行くことになる。充分な資金もスポンサーもない。ラグナセカに行って、それがきっかけでオレが乗れることになるなんて1000分の1の確立だよ!スターマツダ参戦するための条件はだいたいわかった。もっと仕事を頑張って自分の力で出られるようにするしかない。いい加減な状態でチームと交渉しては失礼にだし・・・だからラグナセカは行かないで日本に帰るかな。」
そして、黙って聞いていたサムさんが言った。

「オレ、出来さん上手くいくような気がするなあ、行った方がいいよ。」

「え!?サムさん、いや本当にオレが乗れるのは1000分の1くらいしかないんだよ。100分の1じゃないよ!」

「いや、オレ、出来さんをずっと見てきて思うんだけど、その1000分の1が起きるような気がする。ラグナセカに行ってみるべきだよ。」

本当に驚いた。この時のサムさんの言葉が今も忘れられない。

「そう、オレはチャレンジする前から諦めようとしていたのかもしれない。たくさんの理由を考えて。」サムさんがくれた勇気が私の背中を押してくれた。「絶対成功させなくてはいけない。友人が紹介してくれるチームに会ってみよう!」マツダレースウェイへの準備が始まった。

英会話の問題。これが非常に大きな壁だった。チーム員となり、セッティングの話をするのは大丈夫。しかし、チームに加入するための交渉は非常にデリケートであり、言葉の問題がなくても難しいもの。初めてのチームとの交渉に、私を理解している通訳は不可欠であり、私は結局、ホームステイマザーのベスさんにお願いした。他の人を探したが、どうしても急な日程にあわせることが困難だった。そんな状況を見て、ベスはOKしてくれたのだ。彼女は英語を日本人に教える先生もしていて、英会話の本も出しているくらいで、通訳には適任。しかし、約500マイル離れたラグナセカはクルマで移動でかなりかかる。今回の旅は合計3日間かかる。彼女がやっていた毎日の食事を作ったり、掃除をしたり、子供たちを送り迎えする仕事をご主人のサムさんが、仕事の前後にしなくてはならなくなる。。子供達はまだ母親をとても必要としているし、もうひとりホームステイしているミキちゃんは・・・ホームステイのメリットが受けられなくなってしまう。それでもみんな「出来さんのためならいいよ!みんなで頑張る!」と言ってくれたのだ。SanClementeに滞在して3週間。レースに向けていろいろ頑張ったが、結果に繋がらなかった。しかし、私は1人ではなく、そんな姿を見守っていてくれた家族がいて、みんなが協力してくれた。この気持ちに応えるためにも「何か掴んで来よう!」良いプレッシャーの中、10月17日、朝5時、家族の理解と協力を得て、私とベスはMazdaRaceway(ラグナセカ)へと旅立った。



レーシングドライバー 出来利弘

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