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2009年1月24日 (土)

Star Mazda参戦への道 10 いきなりのレーススポット参戦!

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ついにやってきたGoshen Motorsports(ゴーシン モータースポーツ)のファクトリー。様々なレースカーがある中に、チームメイトとなるBilly Goshen(ビリー ゴーシン)選手のスターマツダのマシンもあった。
この日、交渉したことでスターマツダーウインターシリーズへのスポット参戦が決定した。

今日の話は、チームとの交渉であり、本来あまりオープンにしないこと。恥ずかしくもあり、自慢しているようにも取られかねない。本当は大切な人にのみ話すこと。しかし、これから自分の道を切り開こうとする若い世代の「あなた」へ少しでもヒントとなり、勇気となればと願い書く。
心ある若者だけに以下の文章を送る。

奥に進むとそこはチームオーナーのBill Goshen Jr.(ビル ゴーシン ジュニア)の社長室だった。ジュニアといってもビリーのお父さんだ。彼と話をしにきた。私はベスを通訳として連れていっていた。部屋に入るとチーム全体のマネージャー役のポール、ジョージとケリーも参加するという。ジョージはBillの義理の父、ケリーはスポンサーとの交渉などを行うマーケティング専任の担当。みんなレポートとペンを持っていてビルと合わせて、ゴーシンチーム4名。私、出来とベスの2名で合計6名による本格的なミーティング。新入社員の面接に近い状況。これはなかなか緊張する。ドアが閉められた。(う~ん、こんなに本格的だとは思わなかった。

・・・・・どうしよう・・think  )

「ハイ!トシ!」「あ、ど、どうも、いやNice to meet you!」
じゃない、どうしよう??ここからは、なにを話ししたかよく憶えてはいない。ベスの通訳を通じて、「これからいろいろ頑張っていくので、このチームで乗せて欲しい。まずはテストだけでもしたい。」と通訳してもらう。チームスタッフは優しいが、しかし、どんな交渉をするか、どんな人間かしっかり見ていた。どうしよう?・・・なにかしなくては。「そう、あの英語の文章を!」私は用意していた英語の文章を心を込めて読んだ。「もし、アメリカに来たら、午前中、英語の勉強をして、午後は仕事をして、夜はブログを書こうと思ってます。日本の私のブログはとてもポピュラーです。来年はEnglishブログも始めます。それをすることで英語も上達するでしょう。・・・・」といった内容だった。覚えはじめの英語で、ゆっくりだったが、一生懸命、伝えた。私はこの文章を考えて、事前に先生にチェックしてもらっていたが何回も練習し、覚えてしまっていてメモを見ずに話すことが出来た。ゴーシンチームのみんなはより、真剣な表情で私の話を聞いてくれた。私がレーサーになりたいと思ったのは、子供のころからだったこと。レースを始めるのが遅かったのは、一般家庭に生まれれば当然であること。1996年にはF3にチャレンジして、ジュニアクラスチャンピオンとなったが、バブルがはじけた日本ではスポンサーが見つからず、断念したこと。みんなは黙って聞いてくれ、「状況はよくわかる。日本は難しい時代だった。私たちも当時調査したから知っている。」と言ってくれた。私はベスの通訳の助けを借りながら、話を続けた。「私のやり残したことはこのフォーミュラのチャレンジだけです。どうしてもこれは譲れない。そのために全てを捨てて、生きてきたから・・・。私は考えました。「もしもF-1レーサーになって、歳をとって引退したら、何をしたいだろうか?それを先にやってみよう!」と。「スポーツカーとレースを愛する仲間たちと暮らしたい」。「レースとスポーツカー」は、いつの時代も深い関係になくてはならないもの。それを証明し、継続していくような仕事をしたい。Dekiのドライビングテクニック教室「ディーテクニック」を作りました。私が長年の経験で得たドライビングテクニック上達法を教えて、みんなにドライビングの楽しみを伝えました。そのドライバー達の1番練習に適したマシンとしてMX-5(マツダロードスター)を勧め、そのメンテナンスの要望に応える形でメンテナンスガレージを作った。安心してサーキットにデビューできる環境を作り、走行会を開催する。やがて、夢のパーティレースに出場、そして優勝する人も出てきた。そのレースで得た経験を活かした夢のコンプリートカーを製作し、販売し、その人がまたサーキットにデビューする。そんな夢がかなった。一緒に仕事をしている加藤彰彬のような才能あるドライバーにチャンスを与え、日本のトップドライバーに負けない実力をつけてもらうこと。日本のディーテクニックの仕事の全てを引き継げる存在になってもらうこと。加藤のレースでの活躍と相乗効果で新車ベースのコンプリートカーTCR 2000 の販売、NR-Aのメンテナンスが順調に仕事となり、マツダの開発の方をはじめとする社員の方やモータージャーナリスト、雑誌社の方たちともお話をさせていただける機会にも恵まれました。クルマ大好きにとってこれ以上ないほどの運に恵まれ、夢のような8年間でした。ここまで応援してくれたみんなには本当に感謝しています。12年前、「必ずもういちどチャレンジすると決めたF3より上級のフォーミュラレース。」これが難しく、どうしてもたどり着けなかった。全く貯金もなかった人間がここまで来るにはどうしても12年かかるのです。」と話をした。
「どうしてもやりたい!」と。この通訳をしてくれたベスさんが、私のことを深く理解してくれていたことで言葉に力があったのだと思います。ただの通訳ではなかった。彼女の言葉がチームのみんなの心に響いた。なんとしても乗せてあげたいという気持ちが滲み出ていた。ベスでなければ出来ない素晴らしい通訳。その場に居たみんな、一体感のある空気に包まれていくのを感じた。「人生を賭けるならこのチームだ」と私もはっきり感じた。自信はある。ドライビングはオレの凄い特技!初めてのサーキットで、初めてのマシンでもすぐに対応できる!!速く走れないかもしれないが、壊さないし、なにがあっても避けられる。まず、テストドライブをさせてくれないか!?」ちょっと大げさかなとは思ったが話をした。ビル:「OK、トシ、よくわかったよ。あなたのドライブを見せてもらおう。来週、レースに出よう。」ん?トシ:「ベスさん、テストだよ。レースじゃないでしょ?サーキットでテストでしょ?」聞き直してみる。ビル:「いや、トシ、テストもあるが、そのままレースだ。ウインターシリーズというのがあって、インフィニオンというコースで開催される。それに出てもらおう。出るよね?」いきなりだったが、すぐに「Yes」と答えた。ビルが続ける。みんながメモを取る。ビル:「土曜、日曜と1レースずつ2レースある。それぞれに予選、決勝がある。木曜日にテストできる時間が30分×2回、その前の水曜日、バトンウィローという小さなコースが移動中にあるので、そこでマシンを降ろして、シェイクダウン、正常に動くかチェックしよう。金曜日はナッシング。お休みだ。観光すればいい。OKならマシンを買ってくる。ちょっとタフなコースだけど・・・お前なら大丈夫。」出来(トシ):「え、マシンは買ってくるの?持ってるんじゃないんだ。」ビル:「心当たりはある。時間はないがなんとかなるだろう。来年もそのマシンでいくかどうかは、このレースに出てから決めればいいことだ。良いレースを期待してるよ!」
OK!

ってなんか大変なことになってしまった!!!

でも1歩、いや3歩前進か!?いったいアメリカって・・・
「とにかくベス!ありがとう!!よかった!ベスでなかったら絶対ムリだった。本当にありがとう!!」

さあ、日本に電話しなきゃ!
出来:「加藤!レースにでることなったよ!インフィニオンってどこ??」

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